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南米・北米一人旅 番外編 その3

今日は、北米編です。

 

ペルーのリマからマイアミ、マイアミからLAまでの✈を

 

シャーマンの黒魔術によって、落とされそうになりました。

 

5分起きにトイレなんてありえないし、アヤワスカの浄化作用で

 

その時は、霊能力が出ていましたので、落とされるのは虫の知らせというか

 

直感で察知していました。

 

幸いなことに、結界を張る方法とご真言を知っていたので

 

✈に結界を張って守り抜きました。

 

私一人のために乗客みんなを巻き添えにはできません。

 

気を張り詰めること2日間一睡もできませんでした。

 

そんな朦朧としている状態でLAに到着してすぐ、レンタカーをして

 

サンタモニカにあるユースホステルまで運転しました。

 

到着してようやく眠れると思ったら、渡されたベッドの数字のところには

 

知らない人の荷物があり、フロントにベッドを変えてほしいと言うと

 

「僕は少し日本語ができるから言うよ。日本人の悪いところは、自分さえ我慢すればことは丸く収まるという考え方は良くない!間違っていることに対しては、間違っているとその人に言わなくちゃ駄目だよ!!」とキツく言われました。

 

意識が朦朧としているのに、いつ帰ってくるか分からない、先に私のベッドを使っていた人のために待つわけにもいかず、フロントに「とにかく私は疲れ果てているからすぐにでも眠りたい!!

だからベッドを変えてください!!」と頼み込んで、変えてもらったベッドで一日半眠りっぱなしでした。

 

リオデジャネイロに比べたら劣るけどサンタモニカの海は美しかったです。

 

そして、アヤワスカ情報を教えてくれた子から紹介されたLAに住む人と会うためにパーキングに停めていた車をユースホステルに横付けして荷物を部屋から運ぶ数分の間に切符を切られてしまいました_| ̄|○ il||li

 

紹介してもらった人に電話で聞いた目印になる日本人スーパーはいくつもあって、なんとサンディエゴまでドライブしてしまいました!!

 

我ながら、その移動距離に感動しちゃいました🤣

 

すったもんだあってようやく夜になって、合流できたのですが、その日宿泊する場所や土地勘などもないので、その紹介してもらった人の家に泊めてもらうことにしました。

 

運の悪いことは連鎖して起こるのですが、一晩その人の家の駐車場にレンタカーを停めていただけなのに、フロントバンパーをぶつけられていて、保険には加入していたものの、先程の駐車違反代とバンパー修理は日本にまで催促が来て、旅で使い果たしたお金はもうないのに、どうしましょう状態でした。

 

私の人生はギリギリなラインだけ守護の力が働くようで、なんとかなりましたけど(^_^;)

 

その知り合いの家で一泊したあと、帰国の便まで約20日あり滞在先を変えたほうがいいと思って、モーテルに滞在を決めました。

 

日本人スーパーでの人間ウォッチングの文化のち外にはかなり笑いました。

どこへ行ってもすぐ仲良くなれるので、店番頼まれたり店長さんとの文化の違いのエピソードなども面白くて飽きませんでした。

 

アメリカも日本と同じで西へ行くほど人はフレンドリーなようで

 

レンタカーを返却に行ってから帰ってくる交通手段などもモーテルに宿泊しているお客さんに教えてもらえました。

 

最初は「信じてくれ、俺は日本で働いていたことがあるから、日本人が疑い深くて怖がりなのは分かってる!帰ってくるときに乗るバスはオレンジの帯が入ったバスならなんでもいいから乗って、どこそこのバス停で降りて北に向かって歩けば、このモーテルにたどり着くよ。信じて!」と言われました。

 

あのゆる~いLAの人たちでも日本人が他国から見たら異常だということがわかるようです。

 

モーテルに滞在している間もシャーマンによる黒魔術で何度も死に目にあいました。

 

もうこうなったら、持てる力と知識を振り絞って払いのけようと思い、一週間かけて、頭に思い浮かぶ言葉をすべてミニノートPCに書きなぐっていたら、自然と解けました。

 

毎朝、近くのコンビニに行って買い物しておしゃべりしていたのですが、

 

「お酒は飲めるの?」って聞かれて「飲めない」って言ったら「何故?」っていうので英語で説明が出来ず、困っていたら「Because different body」と言われて、あ、そんな簡単でいいんだと拍子抜けしました。生真面目な私は遊んでもらえて嬉しかったです。

毎朝、歩いてマクドナルドへ行って、パンケーキと飲みものだけを頼み(ジャンクフードを好まないのと量が半端ないので)、昼はスーパーで買ってきた物を食べ、夜は韓国人が経営する日本食もやっているレストランで食事をしていました。

 

その日本食が出来上がるまで首のコリを一人でカイロプラクティックをしていたら、経営者の女性が「それどうやってやるの?」というのだけど、英語でも韓国語でも説明できないので。ほんの数秒、その人の悪いところが見えるので首と肩のツボ押しと手三里のツボを指圧しただけなのに、大変喜ばれて「私が通っている整体よりも腕がいいから、名前と電話番号教えて!お金払うから是非マッサージして!」と言うのだけど、もう帰国だったので、お断りしました。

 

南米で、シャーマンに全身マッサージとせんねん灸をしたら「ジャパニーズシャーマン」と言われ、フランス人にマッサージしたら「サムライマッサージ」と言われてきたので、もしかしたら私、LAでマッサージだけで食べていけるかもしれないとふと思ったものです。

 

因みに、滞在した街はFriendly City Lomitaという街で、本当にフレンドリーでした。

 

いろんなお店で可愛がってもらって助けてもらいました。

 

まだネタはたくさんあるのですが長くなるので、今日はこの辺で!

 

お付き合いありがとうございましたm(_ _)m

南米・北米一人旅 番外編 その2

今度はペルー編です。

サンパウロからペルーの首都リマまでの飛行機の中からずっと

ペルーにいる間は金縛りに悩まされました。

自分の霊的な体質のためにお寺さんで修行したりご真言を覚えているので金縛りには、不動明王のご真言で対処していました。

リマに着いて最初の宿は宿沖縄という沖縄出身の方が経営する宿でした。

ここでやっと、一人で眠っていたら強烈な金縛りがしばらく続いて、解けた安心感でトイレの方に歩こうと部屋の電気をつけても電気がつきません。そしてドアを開けたところにあるヒューズが飛んでいて、床には割れた電球の破片がたくさんあって、「海外は靴を履くから足の裏が血まみれにならなくて良かった」と思いました。翌日からはドミトリーの方で寝ました。

リマについた頃には、肺炎になっていたのでスペイン語で症状を書いてもらって、近くの薬屋さんに持っていき処方された薬でなんとか完治しました。

旧市街地に宿はあったのですが、国会議事堂があるためなのか、さっきまで中華料理を食べていたのに、宿に戻ると外は騒然としていて騎馬隊がうろうろしていてびっくりでした!

フジモリ大統領のときだったと思いますが、抗争がしょっちゅうあるようでした。

宿で仲良くなった友達と新市街地にある遺跡を観光していたら、なんと!常陸宮様(ひたちのみや)に遭遇!!ガイドさんが「今日、日本から大統領来るよ」と上手な日本語で話していたけど「日本には大統領おらんよ、総理大臣ならいるけど」なんてぼやいてたっけ・・・

眼の前で常陸宮さまをお見かけしましたが平成天皇と瓜二つでした。

リマには黒いケンタッキーフライドチキンのお店があったり、タラポトという街に行くための長距離バスのチケットを買う、往復で鼻の穴が真っ黒になりました。そうなんです!ガソリン車をディーゼル車に改造しているので、大気中にはディーゼルの排気ガスが充満していたのです。

ペルー北部の方角にある、タラポトという街のドクトルゴンザーレスさんに会うために飛行機に乗りました。なんと3時間遅れです。海外あるあるですね

タラポトにつく頃には真っ暗でした。地球の歩き方にも載っていない街で、こんにちはすら言えないのに、頑張ったなと我ながら自分を褒め称えたいです。

トゥクトゥクに乗ってドクトルゴンザーレスさんに無事にお会いできて

セレモニーの代金や多くて週2回しかセレモニーを受けれないことを聞き、折角来てしまったのだからセレモニーをお願いし、宿は情報もなかったので、ドクトルゴンザーレスさんに紹介してもらった、Hostal Falconという宿へお世話になることになりました。

この宿では本当にどれほど感謝しても伝えきれないほど、良くしていただきました。

まず、オーナーが英語が大嫌いということで全く英会話はできません。

ただ、「ここ(here)がアキーということと、Canbio(Exchange=両替)というのだけ知っていただけでよくここで一ヶ月も滞在できたなと思います。

まず暇があると、メルカドへ行っては食材を買い込んで厨房を借りて自炊してました。暇さえあれば厨房に行ってコミュニケーションを取っていました。

箸の絵を書いて「これは何て言うんだ?」と聞かれたので「Hashi」と教えたり

一緒にTV見ながら食事用のナプキンを畳んだり、スプーン・フォークを包んだりして徐々にオーナーやスタッフと仲良くなっていきました。

セレモニーではフェニックス(火の鳥)に乗って飛翔するシーンを見たり、ナスカの地上絵が何故どうやって出来たかのかビジョンで教えられました。観光は二の次でアヤワスカのためだけに南米に来たので、観光したような気分でした。またあるときは、トラウマが全開になって朝から引き付けを起こすほど涙が止まらず泣きっぱなしだったので、女性スタッフが手を握ってくれるのですが、鼻が詰まって呼吸も苦しかったのを見てられないようでもらい泣きしながら離れていきました。

その女性スタッフとは仲良しだったので、昼休憩に実家に呼んでもらえて、娘さんやご家族と会いました。ペルーではモルモットを貴重なタンパク質をとるために飼育して食べていました。その家では豚と鶏もいました。

娘さんが「いつき なおみ」と名乗るので、日本の演歌をTVで見るんだなと思いました。将来は歌手を目指してると言って歌ったり踊ったり、絵本を読んでと頼まれたりでした。裸電球一個の生活でした。

セレモニーのない日はドクトルゴンザーレスの車で助手くんと3人、タラポトの見どころを観光案内してもらえました。美しい思い出です

タラポトの街を出る前日は、腰痛にせんねん灸で対処していたのですけど、シーツに焦げ目がついてしまって、タバコって指摘されましたがNO!NO!と腰をさすると、見送りに来た女性スタッフの家族とその友人のご家族まで来てくれて、涙のお別れでした。

そして会計をするときに、食費に斜めの線、宿泊費も斜めの線・・・?

要するに、宿泊食事代は無料にしてもらえて、TAX(税金)だけ払ってと言われてオーナーは嬉しそうに両手でパンパンしていました。

もう頭が上がりません。こんなに良くしてもらえて・・・。

ブラジルでも思ったのですが、アヤワスカというキーワードで知り合った人たちの、「見返りのない助け合い」が何よりも私にとっては奇跡でした。

アヤワスカの経験も奇跡でしたが、その当時のわたしはあまりにも優しい人に出会ってなかったんだと思います。南米にいる間にしょっちゅう嬉し泣きしていました。

タラポトからシャーマンだらけのサンフランシスコ村に行くためにプカルパ行きのバスに乗ったのですが、24時間かかると聞いていたのにパンクやブレーキオイル漏れなどトラブル多発で36時間もかかってしまいましたこでもダウン症のお子さんと出会いました。南米で出会う確率が高かったです。

車やバイクが趣味な私はどうやって修理するのか興味津々で手伝えることはやってました。

休憩って言われても草むらで乗客同士用を足すというのにはびっくりしましたけど

橋が崩落しているところは、先に橋を歩いて渡り、バスはなんとイカダで川を超えるのですよ!!

もうひとつ橋が崩落している川はバスごと突っ込んで対岸まで渡るという驚愕な行為を後ろの座席の人にゼスチャーでカメラで動画を撮れと言われたっけ。

夜分にプカルパに到着してすぐリマの宿でメモしてきた宿へトゥクトゥクで行きました。

泊まった宿はなにか悪いものが居そうな雰囲気で怖かったですが、寝るだけだと割り切って眠りました。

朝起きると隣の部屋から口笛がするので、誰だろうと見に行くとアメリカ人で、昨日までサンフランシスコ村のスイピーノにいてアヤワスカ体験したんだ!この絵は見たビジョンだよ!と絵を見せてもらいました。

そしてサンフランシスコ村のスイピーノに行くなら案内してあげるよと言ってなんと自腹で自分の分の交通費を払って私の荷物まで運んでくれてました。

申し訳ないやら有り難いやら、日本にいるとここまで親切な方はめったにいないので、見返りのない助け合いに感動でした♬

スイピーノには猿と妊娠している犬とイグアナに遭遇しました。

さすがジャングルです。電気・ガスはない、風呂は水シャワーです。

夜はキャンドルの明かりで蚊帳に入り本を読んでました。

自然ということは不便ということ、つまり便利ということは不自然なんだというのが大きな気付きでした。

色々あって、シャーマンともお別れしリマまでの長距離バスでプカルパを離れるにつれ、黒魔術や集団催眠が解けていくのを感じました。

疑うということが足らない私は善意にとらえていたことも、実際は悪意であったり騙しであったりでした。

リマの宿もまた「Hostal Sanfrancisco」!もうサンフランシスコはええわ!と思いましたが、ここで出会った日本人たちには本当に心が救われてリマの中心街を一緒に巡ったり、お別れのときなどは、全員で見送ってくれたりで日本人も素敵じゃないか!と思えました。

アヤワスカ目的で南米へ行きましたが、私が本当に望んでいたことは

真心のある温かい交流

だと旅してる途中で気づけたことでした!

シャーマンの自宅にお呼ばれしてお世話になったり、タラポトの宿のみんなへ

船便でお礼を送りました。

 

長文、読んでくださってありがとうございました。

次は北米編になります。

南米・北米一人旅 番外編 その1

最初に訪れたのは、ブラジルのリオデジャネイロでした。

英語が得意と英会話が得意ではわけが違います。

アメリカン航空乗り継ぎで到着したけども、T/Cなんて古いもの持っていったので

両替で苦戦。

宿はここなら大丈夫という先日紹介したリオの宿が地球の歩き方に載っていたのを

バスの運転手に見せて、声を掛けてもらって下ろしてもらいました。

そこから迷子なんですが、「私少し日本語話せるのよ、案内しましょうか?」

というおばさまに案内されてチェックインです。

最初から最後までブラジル人はここまで親切だなんて涙 ってのが感想です。

宿は世界中からの観光客が宿泊するユースホステルのようなドミトリーでした。

2段ベッドの上です。

様々な国の人達とコミュケーションしました。ブラジルでも大都市で国際交流のあるところは特に英会話が通じます。

リオのコパカバーナの海とレブロンという海がとても気に入って、死ぬまでにもう一度訪れたいところです♬

ツアーではなく、同じ部屋で知り合ったサンパウロから来ていたAlineが仲良くしてくれて、

コルコバードの丘の麓の駅まで、タクシードライバーと値段交渉をつけてあいのりしたり、

夜はクラブへ連れて行ってくれました。コルコバードの丘のキリスト像の下は教会になっていて、

挙式できるので神父さんがいましたが、ナンパされました!さすがブラジル人!

自由でいいなあAlineとは最近までFacebookで繋がってましたがイギリスへ永住してからどうしてるのかな?

宿では腕時計をしてるだけでみんなが話しかけてくれました。

そして馴染んだ頃には宿のスタッフからオートロック解除の役目をいただいたり、

早朝に外で佇んでいると、小さな宿直のおじさんが「カプチーノ?」って言うので

毎朝キッチンにお邪魔させてもらいました

ポルトガル語が話せない私はリオの宿の居心地の良さや人の温もりが良すぎて離れがたかったです。

英会話もそれほど慣れてはいないので、のスタッフとの交流のときに、

逆に、英語でこう言う言葉は日本語ではこうだよということを紙に書くとスタッフは興奮して、

一生懸命日本語の発音の練習してました。この手はペルーでも通用しました

サンパウロへは、サンパウロから来ていた日本人カップルについていって長距離バスで移動しました。

サンパウロは日本人スーパーへ行けばなんでも揃ってるし、鳥居があったり親日的です。

リオで長く滞在シている間に秋になって、免疫力が弱っていた私は肺炎になっていたので

日本から持ってきた薬をどうにか組み合わせてなんとかしようとしていたら、

サンパウロの日本人宿で仲良くなった人が薬剤師だったので、

アドバイスもらってペルーまではどうにか過ごしていました。

その薬剤師さんは最初はアヤワスカには興味ないと言っていたけれど、

私がLAに到着したらメールで、死んだお父さんと会いたいからペルーのアヤワスカ情報を教えてと言うんだけど、

おすすめできないなりに情報を教えた記憶があります。

この薬剤師さんにはペルーの首都リマまでの飛行機のチケットを取るためのコミュニケーションを

手伝ってもらって本当にありがたかったです。

リオもサンパウロも露店が多く民芸品やらが面白くてお土産買ったりしましたね。

アヤワスカを体験したい人へその2

ブラジル側はサントダイミ教の支部が各州毎にあるので、

それを使ったり. ウニオン・ド・ヴェジタルという宗教儀式でも使います!!

1920年代にブラジルの最西端の州(当時の領土)で

アクレに始まった宗教的慣習に付けられた名前です。  

 

サントダイミ教は近親相姦の人たちが多くて、

男女に分かれて間に神父さんがいて仕切っています!!

近親相姦の人が多いのは頭の異常な大きさで奇妙に見えるので、

勘のいい人や心理学者は驚くと現地の人から聞きました。

導いてはもらえませんが安全ではあります。

私はリオデジャネイロで1度体験しました

ちなみに、リオデジャネイロでおすすめの宿は以下です。

チェ ラガルト ホステル コパカバーナ(リオデジャネイロ)– 2024年 最新料金

Che Lagarto Hostelは、コパカバーナビーチからわずか3ブロック、地下鉄カルデアウ・アルコヴェルデ駅から1ブロックの素晴らしいロケーションにあります。バー、24時間対…

Booking.com

ユースホステルのような雰囲気で、多くの外国人と交流できます。

旅人ノートも充実しています。

一番人気のコパカバーナビーチまでもそれほど遠くないです。

海岸にはレンタサイクルもあるので、あちこち周遊できます。

また宿にツアー業者が入るので、コルコバードの丘のような

観光地を安く安全にツアーで行けるのも魅力です。

当時とはガラリと変わってしまいましたが

その時いたスタッフにサントダイミー教のリオデジャネイロ支部と

連絡取ってもらって、飲んでいる薬がデンジャーと言われ

断薬してから参加しました。ポルトガル語で書かれたプリント持っていったので連絡がつきやすかったです。

ブラジル人の見返りのない助け合い、優しさに何度も泣きました。

サンパウロはなんでもありますし、現地の人たちにはお世話になりっぱなしでした。

サンパウロ~リマまでの飛行機のチケットをゲット。

ブラジルはどこでもフリーマーケットがあって買い物も楽しい。

大きな鳥居のあるところ、なんでもある日本人スーパーなど

楽しいです♬

 

サントダイミ教の本部は北西のボリビア近くの、リオブランコ州にあって、丸一日かけて舟で移動するなど面倒ではありますが、6月と12月にお祭りがあって、世界中から人が集まりますよ。

お祭りないときでも歓迎して儀式してくれます!!多分、滞在費は安いはず。

村人みんなでアヤワスカ作ります!ペルーみたいな泥色でなくてオレンジの半透明色でした!!オススメです。

ブラジルではダイミ茶(アヤワスカ)は宗教儀式に使うのは

政府公認です♬

アヤワスカを体験したい人へその1

14年前のブラジル&ペルーの情報を書こうと思います。

ペルー情報

リマで宿泊は旧市街地にある、サンフランシスコと名のつく宿がおすすめです。

リテラシー高めですし、旅人情報も豊富です。たくさん外人がいるので交流するのも楽しいです♬

プカルパ州にあるアマゾン川をトゥクトゥクみたいなのとコレクティーボ(乗り合いタクシー)で回り道して行くか

船で渡ってサンフランシスコ村へ行きます。

サンフランシスコ村はシピボ族のシャーマンだらけな所ですけど、日本人が比較的多いsuipinoで黒魔術に遭いました。

私はちょっと特殊で、ボスシャーマン(マエストロ)の奥さんオルガに

気に入られなかっただけで黒魔術かけられたのです。

帰国して黒魔術かけただろ?と付き合っていたシャーマンにメールしたら、めっちゃビビって、なんで生きているんだとなり

殺そうとしたのは事実だというので、なんで殺そうと思ったんだ?

と聞いたら、「黒魔術で人を殺すのは娯楽だ」と言われました

_| ̄|○ il||li

日本人の女の人はシャーマンに性的被害に遇うことが多いです。

何故なら、彼らシャーマンは思考抜き取りと魔術で集団催眠に入れますから、人を操ることは簡単ですし、とても自然に、さも自分からシャーマンを好きになったかのようにされます。

シャーマンたちは日本人の女の子と付き合う(肉体関係になる)

ことを

自慢の種にしています。色んな意味で小柄だから。(察してくださいね)

もしシャーマンと付き合うことになってしまったら、無事に帰国できただけでも喜びましょう。

シピボ族からやっぱり泥染めの刺繍のものやら手作りの民芸品買わされますが、絶対お釣りを用意してないのはお釣りも頂戴ね!やと思いました

スイピーノ以外の女シャーマンでも何故かヴィトンのBag持ってたりで

怪しさ満載です。

スイピーノが人気あるので、サンフランシスコ村中の別に居るシャーマン達の妬みによって妨害する念が飛んでくるので、セレモニー前はトイレやシャワー、水道などとセレモニー会場の回りにスイピーノのシャーマンが結界張ってました。

ちなみに、食事はお任せか乗り合いタクシーやトゥクトゥク乗り継いでメルカドで食事調達して自炊か選べます!!

(メルカド周辺はホテルやレストランもありますし、ATMがあります。)

私は食事は制限が厳しいし自炊の炊事場が簡易すぎたので手間もかかるしでお任せしました!!

サンフランシスコ村よりもっと奥のサンタなんとか?忘れました(^_^;)

って所はまだマシのようですが、当時でも、シャーマンに荷物盗まれるヴィジョン見たって人もいます。

サンフランシスコ村は、金儲け主義です。シピボ族たちはペルーの各地に行って、アヤワスカのセレモニーしたり、アヤワスカそのものを売りますが、法外な値段がありますし、良質とは言えないので注意してください。特にクスコ。

 

シピボ族というくらいですから、街に出ると低学歴なことから働くことが困難なので、サンフランシスコ村からあまり出ません。万年貧乏なので人のもの(犬とかも)盗むのは日常茶飯事です。基本、その日暮らしです。

シャーマンになる前はどんな仕事してたの?と聞くと誰もが教師と言いますが、「暑いから学校行くのや~めた!」とかカトリックの教会もありますが、カトリックは懺悔すると許されるので、人を殺すことも物を盗むこともなんでも許されると思って生きています。

北部のイキトスの深いジャングルにはリトーリートセンターがあって厳しい食事制限された食事の提供や通訳やシャーマンとの間を取り持ってくれます。何より安全です。

青汁王子はクスコのリトリートで体験しました。

タラポト州にはドクトルゴンザーレスという西洋医学のドクターでもありシャーマンでもある人がいます。腕はいいですよ

いいところだけど、当時1セレモニー100$掛かり

週に多くて2回なので滞在費がかさみます。

タラポトには、ソンコワシという麻薬依存症者の更生施設があり

そこもアヤワスカ使って更生させるので安全かもしれません。

(毒をもって毒で制する的な)ただ、外から様子を伺う限りではあまりセレモニーしてないようでした。山籠りするそうですしね。

まだエクアドルの南部の方がマシだと当時の情報では語られてました。

南米はあらゆる国でアヤワスカがあるので他国を探すのも有りだと思います!!

 

シピボ族のシャーマンは天候を変える、方位磁石を手のひらに載せるとクルクル回る、人の心を自在に操る、肉体の痛みを吸い取ってゲップすると、施術されてる人は痛みが消えます。

性被害に遭いそうになってる子を助けようと一言声をかけようとしても

心を読まれて先回りして、風もないのにドアが急にバタンとしまったり

物が急に落ちたりとあり得ないことが起こって邪魔されるので、被害を食い止めることはできませんでした。

 

 

そこもアヤワスカ使って更生させるので安全かもしれません。

(毒をもって毒で制する的な)ただ、外から様子を伺う限りではあまりセレモニーしてないようでした。山籠りするそうですしね。

まだエクアドルの南部の方がマシだと当時の情報では語られてました。

南米はあらゆる国でアヤワスカがあるので他国を探すのも有りだと思います!!

 

シピボ族のシャーマンは天候を変える、方位磁石を手のひらに載せるとクルクル回る、人の心を自在に操る、肉体の痛みを吸い取ってゲップすると、施術されてる人は痛みが消えます。

性被害に遭いそうになってる子を助けようと一言声をかけようとしても

心を読まれて先回りして、風もないのにドアが急にバタンとしまったり

物が急に落ちたりとあり得ないことが起こって邪魔されるので、被害を食い止めることはできませんでした。

 

リマのおすすめゲストハウス情報

 

Hostel San Francisco」。1泊16ソーレス/ドミ。

情報ノート、野良WiFiあり。

住所:Azangaro 125-127, Lima 1, Peru

 

 

 

 

今日は、スピリチュアルな案内です!

 

 

 

🌹クンダリーニ覚醒ワーク🌹

をこのブログをご覧の方だけにご案内します。

 

普段、セラピールームでやっているメニューが多いので

ホームページでは宣伝しません。

 

まずは、粗塩で全身を一週間お風呂のときに洗って自己浄化してもらいます。

セラピールームに来ていただいて、エネルギーワークで身体を整えます。

クンダリーニを活性化するワークをします。


✿クンダリーニ覚醒とは・・・✿

 

クンダリーニとは、全ての人間が内にもっている生命エネルギーのことです。 

クンダリーニはインド仏教の考え方に由来します。

クンダリーニを目覚めさせることは、人間を人間以上のもの、自由なもの、

永遠なものに進化させ不老不死の世界へ導く行法です。

クンダリーニが眠っているのは尾てい骨です。

(さすがに不老不死はないでしょうが笑) 

 

クンダリーニは人体の尾てい骨あたり(第一チャクラ)にとぐろを巻いた状態で眠っているとされ、

頭頂部(第七チャクラ)へ向かい覚醒するとされます。

<クンダリーニ覚醒後の変化>

  • 感情が豊かになり、無償の愛や博愛精神に目覚める

  • 自信にあふれ、前向きになり、性的な魅力が増し、活力がわく

  • ひらめきが増し、今まで経験したことが無い新たな体験をする

  • 頭部や下腹部に熱を感じたり、しびれたりする

  • サイキック能力が目覚める

  • 嘘を見破る能力を手に入れる

  • 異性・同性にモテる

などがあります。

 

クンダリーニを上げる王道といえば、ヨガや瞑想、

気功の大周天などで地道に行うのが有名ですが

波動のいいところに身を置いたり、

出産や尻もちをつくだけでも起こる人もいます。

アセンションを目指したい方やサイキック能力が使えるようになりたい方に

オススメです。

 

ヒーリングの極意も伝授させていただいています。

 

所要時間:2~3時間

料金:100,000円(レイキアチューメント、カウンセリング・資料込み)

 

*個人差がございますがワークの資料をお渡ししますので

ご自宅で何度でもチャレンジできます*

 

お申し込みはアカシアセラピールムのホームページの

Contact usからご予約をしてもらっています。

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